国泰寺派末寺
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 禅のこころ

 禅はインドの達磨大師が中国に伝え、唐代(西暦618-907年)になり大いに栄え、宋代(西暦960-1279年)に至り日本に伝えられた仏教です。
 学校教育においては、日本に最初に禅を伝えたのは、建仁寺の御開山の明庵栄西禅師(1141-1215年)と永平寺御開山の道元禅師(1200-1253年)ということになっております。  
  じつはそれ以前にも、奈良の飛鳥寺(元興寺の前身、蘇我馬子開基)の禅院に住されたと伝えられる道昭師(629-700年)によって、初期の禅が日本に伝えられていたと思われます。元興寺にはその禅室が現存しております。
 道昭師は中国に渡り、玄奘三蔵より法相宗の教えを受け、禅宗第二祖の慧可禅師の弟子である慧満より禅法を授かったと言われております。
 また天台宗の開祖である伝教大師最澄(767-822年)は、師の行表禅師より北宗禅系の禅を授かっておりました。  
このように、日本に禅が伝えられたのは奈良時代の昔でありましたが、その時代の仏教の主流は学問仏教である法相宗や華厳宗などであり、鎌倉時代に至って日本禅の祖師方が布教を開始されるまでは、広く知られることがなかったのです。  
 禅の初祖菩提達磨(ボダイダルマ)禅師と、その弟子たちの言葉を記録したものとされている『二入四行論長巻子』という書物が現存しております。  
 この内容を読むと、初期の禅ではどのような教えが説かれていたのかを垣間見ることができます。 その中にこのような言葉があります。

道を修むる法は、文字の中に依って解を得るものは、気力弱きも、 若し事上より解を得るものは、気力盛んなり。 (道を修める方法として、書かれた本の文字の中から理解を得るものは、力が弱い。 もし、具体的な事実に即して理解を得るものは、力が強い)

 ここに明らかなように、禅はその最初より、現実の世界に向き合い、現実の世界に関わることを重視していたのです。  
 いかに理論の精細を極め、言葉の中に真実を求めようとしても、それは「月を指差す指」です。「言葉」はそれを聞いて、何かが自らの心に生まれなければ意味がありません。  
 例えば、「この世界は無常である」という釈尊のお言葉を聞いた場合、それは誰でも知識としては知っております。 しかし、そのお言葉を体得し、その指し示している「真実そのもの」に至るのは容易なことではありません。  
 言葉というものは、実際に現実の世界の中で、自ら検証して初めて身にしみるものであり、決して頭だけの理解では真に「理解した」とは言えないのであります。それを「ほんとうに」体得しようというのが「禅のこころ」そのものではないでしょうか。 常に目覚めた心で、激しく変化するこの世の中の、現実そのものに対応しなければなりません。 禅の行は、坐禅だけに止まりません。日常の現実そのものが、「禅の行」なのです。



※法話

国泰寺派庶務部長

本派大喜院住職 般林 桂心

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