国泰寺派末寺
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 西郷隆盛の悲しみ

 国泰寺の一室に額に入れられた書簡が掲げてあった。以前より気になっていたが、書いた人の名前を見ると、今年の大河ドラマの主人公「西郷どん」こと「西郷吉之助」となっており、更に一体何が書かれているのか気になり始めた。達筆な字で書かれているので臆していたが、昨年十一月の法燈忌のおりに時間があったので、思い切ってない頭を絞り読んでみた。帰京してから念のため図書館で調べてみると、なんと昭和二年(一九二七)発行の『大西郷全集』第二巻にすでに翻刻されていた。原史料と照らし合わせてみると微妙に相違点もあるようだが、余り細かい事にはこだわらずにその内容を紹介してみたいと思う。


 まずは宛名について。宛名が「藤長様」とあるが、『大西郷全集』によれば、「藤長」は名前で、姓を「得」といい、奄美大島、龍郷村嘉渡の人だという。西郷隆盛が謫居していた時からの知り合いで、その際は「間切横目」(今でいう警察官)であったという。その後、「與人」(村長格)に昇進し士族に列せられている。本書簡は、この得藤長に明治二年(一八六九)三月二十日付で送られたものである。内容は、西郷自身の状況報告が主で、具体的には、戊辰戦争で江戸へ進軍した時より書簡が記された明治二年三月に至るまでの自身の境遇を知らせたものである。


 それでは、内容を見ていこう。(書簡文は、読みやすいように適宜書き下す等改変した)まずは次のような挨拶文から始まっている。

 

「一筆啓達いたし候、いよいよ御障り無く勤務の筈、珍重に存じ申し候、毎々書状並びに着物御贈り給わり忝く存じ申し候」

 

 これによれば、得は西郷によく書状と着物を送っていたようである。後で出てくるが西郷が島に残した子供の世話もしており、親しい間柄であった事を伺わせる。そして次からが総督府の参謀として江戸へ向かった以降の状況を述べたものである。少しずつ区切りながら順次紹介してみたい。

 

「拙者も昨春より江戸表へ出隊致し、その後越後表へも差し越し候處、兵隊中の憤戦を以て全く御勝利相成り、御蔭をもって命を給わり帰り、昨年霜月初旬に着致し申し候、御安慮給わるべく候、」

 

まず「昨春より江戸表へ出隊致し」とあるが、実はこの時に江戸城が何の戦乱もなく明け渡されたのであった。本年は明治維新百五十年で、同時に江戸無血開城百五十年にも当たる記念の年である。当庵開基・山岡鉄舟居士は、この江戸無血開城にあたって、静岡まで進軍してきた西郷の元へ危険を冒して訪れ談判をし、その道筋をつけた大功労者である。その後、西郷は一旦鹿児島へ戻るものの北陸の戦況が思わしくないため、明治元年(一八六八)八月に鹿児島を出立し北陸へ向かった。その結果、無事に勝利を収めて同年十一月初旬には鹿児島へ戻ったのであった。では戻ってからの西郷の様子を見てみよう。

 

「もうこの節は御暇願い上げ隠居の筈にて、暫時御許容相成り居り候處、又々是非に相勤める旨御沙汰あり承知仕り、よんどころ無く去月二十五日、参政仰せ付けられ候間、一両年相勤めず候ては相済みまじく、当春は其許に下島致すべき筈の處、案外の仕合せ如何とも致し方これ無く候、遺子共へは始終御丁寧成り給わり候由、御礼申し入れ候」

 

 鹿児島へ戻ってからは、北陸へ行く以前より体調を崩していたこともあり、暇乞いをして隠居のような状態でいた。しかし、藩主の島津忠義からの要請で、仕方なく年が明けた明治二年二月二十五日より「参政」として勤め始めた。そのためこの春には大島へ行こうと考えていたが、それも出来なくなりどうしようもないとボヤキ気味である。大島には、島で娶った愛加那との間に生まれた菊次郎と菊草がまだ居り、会えなくなった事は残念であったろう。ただ得藤長はじめ地元の人達が世話をしており、その御礼を述べている


 以下書簡本文は、末尾の挨拶、日付、西郷の署名、宛名の「藤長様」と続き、さらにその後に追伸文が書かれている。本文が、島へ行けない事を除き、淡々と江戸への進軍から一年余りの事を述べているのに対して、追伸文では、この間に起こったある事柄について西郷が悲嘆に暮れている様子がまざまざと記されている。

 

「尚々御家中へも宜しく御伝声給わるべく候、追って故友の方々へは御序に宜しく御鶴声給わるべく候、将又、愚弟吉次郎には越後表において戦死いたし、残念此の事に御座候、外の両弟は皆々難なく罷り帰り仕合せの次第に候、拙者第一先に戦死致すべき處、小弟を先立たせ涕泣いたすのみに御座候、御悲しみ察し給わるべく候、」

 

 西郷隆盛には弟が三人いた。上から吉次郎、従道、小兵衛である。従道と小兵衛(文中の「両弟」のこと)は生き長らえたが、吉次郎は、戊辰戦争における北陸道での戦いのさなか新潟において戦死した。墓所も越後高田にあるという。西郷は吉次郎の死を「残念此の事に御座候」と述べ、自分こそがまず初めに戦死すべきなのに弟を先立たせしまい「涕泣いたすのみ」と嘆いているのであった。


 以上が本書簡の内容である。文中、大島時代に御世話になった島の人達・家族に会いに行けなくなった悲しみ、戊辰戦争で弟を亡くした悲しみを率直に語っており、読んでいて当時の西郷の気持ちがよく感じられる書簡といえよう。(二〇一八年一月記)

※お話

本派全生庵副住職 本林義範 師

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