毎年仏跡を訪ねて中国に行くのですが、中国の地名には「安」という字がやたらと使われています。それは土地を開いたときに、この土地が安らかで不安が無い地であるように、という願いを込めて「安」という字を使って名付けられるからだそうです。『広辞苑』を見ると、安心とは「不安、心配がなくて、心が安らぐこと。」とあります。安心を願う、求めることは日本も中国も同じであるようです。
しかしいくら願っても、不安が無くなることはありません。一つの不安が解決すれば、また別の不安が出てくるように、モグラたたきのようにきりがありません。
ですから、心を安らかにということであれば、不安を無くすという方法ではいつまでたっても安心にはならないのです。
安心は本来「あんじん」です。この「あんじん」という読みが、本当の「安心」ということを教えてくれています。
ポイントは濁音が入っているということです。濁という字は、元は「水の中にイモムシが入っている様子」を表しています。だれでもこれから飲もうとする水にイモムシが入っていたなら不快・不安な気分になります。ですから濁という字自体が、私たちの心の不安を示しています。
濁音に対して清音といいますが、「あんしん」という読みはすべて清音です。濁りが無い、つまり不安が無いという『広辞苑』の安心の解釈と重なります。ですが先述したように不安を無くすという方法ではいつまでたっても安心にならない。
「あんじん」という濁音を含む読みは、心の中の不安を遠ざけるのではなく、不安と向き合って不安を受け入れることによって初めて本当の安心を得られるということを示しているのではないでしょうか。
江戸時代に活躍した白隠慧鶴禅師の墨跡の中に「南無地獄大菩薩」と一行大書したものがあります。
「地獄」というと、これほど「安心」とかけ離れているものはないでしょう。その地獄を白隠禅師は「南無地獄大菩薩」とされた、これは一体どういうことでしょうか。
大本山南禅寺の管長をつとめられた柴山全慶老師の著書『人生禅話』に「南無地獄大菩薩」のこのような話がありました。
A氏とB氏という二人の、俳句を通じた深い交遊は二十年に及んでいました。ところがそのB氏がふとした手違いから事業に失敗し、万事休してA氏に金策を頼みました。
A氏は「大金です。私の手もとにもそれだけの金はありません。困りましたね」と言ったきり沈黙しました。
そしてしばらくして、「明日九時にご足労願います。そのときご返事させていただきます」と言いました。
翌日B氏はA氏宅の茶室へ行きました。すると床の間の一軸が白隠禅師の「南無地獄大菩薩」の墨跡でありました。
心の底に奈落の毒気を浴びせかけるかのような、うす気味悪い「南無地獄大菩薩」の軸。見たくないと思いながら、それでいて何か惹きつけられる一軸。B氏の心を占めている「破産」、「自殺」という思い。それが「南無地獄大菩薩」と重なって、耐えがたい苦汁となって胃の腑を突き上げたそうです。
にもかかわらず、B氏はいつの間にか、その軸の前に座して「南無地獄大菩薩、南無地獄大菩薩」と声にならない声で唱えていました。
地獄を嫌い極楽を望むのが人間です。かといって嫌いな地獄に墜ちることなく、極楽にばかり住む人間がこの世に一人でもいるでしょうか。生きている限り、苦も無く、悲しみも無く、痛みも無いということはありえません。大小の差こそあれ、誰しも苦しみ・悲しみ・痛みを抱いて生きている。極楽の喜びはあるにはあるが、それはちらほら散見されるだけで、やがて地獄のどん底にたたき込まれることが多いのが人間というものではないでしょうか。
しかし、その地獄を避けようとすればするほど、地獄は盛大となる、だったら、この厭わしい地獄に対して、そのまま南無と依り処とし、大菩薩と合掌礼拝したら一体どういうことになるのだろうか、とB氏は思い立ちました。
「逃げられるような地獄なら、それはまだ本当の地獄ではない、地獄というものは絶対に逃げられないのだ、逃げられないのなら、どこまでもその地獄を背負っていくほかはない。背負うのなら、南無地獄大菩薩、ありがたいご縁だ、とことんまで一緒に参りましょうと腹を据えるほかはない。そうだ、地獄の中で、自分の能力の限りを尽くして死ぬまでやるのだ。」と一念発起したそのとき、B氏は今まで経験したことのないような一条の光を見出したそうです。
地獄に体当たりをしようと決意したB氏は、改めて資金融通の願いを取り下げてA氏邸を辞去しました。
予期せぬ苦境に立たされたB氏。ですがその解決法は苦境を何とかして避けることではなく、背負っていくことだったのです。「あんじん」という読みもそのことを教えてくれています。「あんしん」で解決しないなら「あんじん」という方法もあるということを私たちは知っておく必要があるようです。
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臨済宗連合各派布教師
本派吉祥寺住職 山田真隆師
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