国泰寺派末寺
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  西田幾多郎と国泰寺

西田幾多郎(1870−1945)は、日本の哲学を創始した人物である。
それ以前の日本は哲学という形での思想体系を持たず、文化という形でしか日本の「思想」は海外に紹介されていなかった。

人文科学としての「哲学」は、西洋中心の学問分野である。
ギリシャ、ローマの哲学を基本とし、キリスト教文化の中で培われた「哲学」は
時として西洋中心の価値観を正当化し、他の文化の価値を低く見なしがちであった。

このような状況にたいし、「日本にも哲学がある」ことを示したのが西田幾多郎の業績である。

西田は日本の思想の根幹に「禅」を見いだした。
もっとも日本的なるもの、それこそが「禅」だったのである。

「純粋経験」の語は、あらゆる価値判断を排した、直接的な経験のことであり、西田が主著の『善の研究』で繰り返し用いている言葉である。
そしてその「純粋経験」から出発し、西洋の哲学をとらえ直し、論じている。

この「純粋経験」を極める為に、西田は当時国泰寺を退かれ、金沢の卯辰山の洗心庵に住居しておられた、雪門玄松禅師に参じられることになる。

国泰寺を退かれる前、雪門禅師は非常に貧窮の極みにあった国泰寺を修復し、天皇殿を重建された。

西田は熱心に洗心庵で坐禅を行った。「寸心日記」には、明治30年ごろから、そのことが頻繁に出てくる。

西田幾多郎が金沢の雪門禅師に参じられる以前、鈴木貞太郎(大拙)は国泰寺に直接雪門禅師を訪ねた。
そのときの模様は以下のようなものであったという。

「国泰寺に行くのに金沢から1日かかったかな、以上だったかな、折角行ったものの、そういう具合に馬鹿に叱られて追い返された。文字の意味がどうのこうのと聞くより、坐禅をしておれというわけだ。」(「私の履歴書」より)

禅は体験することでしかない、文字や理屈ではない、そういうことを雪門禅師は鈴木大拙に教えようとされた様子が伺える。

その後鈴木は禅を世界に広めることに尽力した。